🧫

ゆめかわ日記

ChatGPTと如何にして向き合うか


この日記は2023年6月13日にnoteで投稿していた日記のバックアップです。

 

先週末、某ショッピングモールに用事があり書店を散策していると、入口の方にIT関係の書籍を特集したコーナーがあった。

 

よくみてみるとNotion、HTML5、ChatGPTと表紙に書かれてある。

 

 え?ChatGPTってあのChatGPT!?

 

二度見どころか65535度見ぐらいして首がもげた。

 

普段浮世離れした場所で生活しているのでChatGPTがここまで社会に浸透しているとは思っていなかった。

 

ChatGPTは営利非・営利のミックス企業であるOpenAI LPの開発している対話型人工知能、Chat(対話する)Generative Pretrained Transformer(事前に訓練させた変換機)である。

 

名前の通り対話することを目的として深層学習やデータの効率的な整理手段を駆使して言語モデルを訓練させたものだ。  


現時点ではGPT4が市場に出る前夜といった感じだが非常に聡明だ。

 

黎明期の飴と鞭を与える単純な学習方法によらず、機械の力を最大限に利用した効率的かつ広範な訓練させたチャットモデルは我々の知識を凌駕するほどの幅の利かせ方をさせてくる。

 

例えば、食材は揃えたがどんな料理にするか思いつかない、やりたいことはわかっているのにプログラムがエラーを出してしまう、数学の宿題がわからない。ニホンゴワカリマセン…

 

こういった内容をChat-GPTに適切に説明すれば瞬時に解決策を提案してくれる。「今夜はエビチリにしてはいかがですか、レシピは以下の通りです。」、「12行目の型の宣言が誤っています。ここをこのように修正すればコンパイルエラーは解消されます。」など。

 

問題を解決するだけでなく、物腰もやわからかいので質問する側も頼もしいという心証を抱くだろう。僕自身初めて利用した時、人間が入ってるんじゃないかと疑ったぐらい自然な会話をしてくるので、執事のようなイメージを持った。

 

非常に親切で頼りになる人工知能であるため、革新的な技術だとしていずれ人々に認められるであろうと思っていたのだが、僕が庭いじりをしている間に大流行して、今ではパソコンに触れないような層でも名前だけは知っているという状況になっていて驚いた。

 

しかし、世論を見てみるにこういった深層学習を用いた対話型AIに対しては比較的肯定的なイメージを持っていないように思えた。  
その中でも顕著に議論に上がっていた内容に関して僕も意見していきたい。

 

・ シンギュラリティによる失業の懸念

  
ハックスリーやフィリップ・K・ディックがSF小説の世界に描いたように、人工知能の技術が発展した社会では、人間よりも高度な作業ができるAIが重宝され、それに劣った人間の仕事を奪い、人間はロボットができないような過酷な労働でその日暮らしするしかないのではないかという問題がとりわけ多く議論されていた。

 

衣食住という生命活動に直結しうる職業活動の問題であることから、明日は我が職が奪われるのではないかという憂慮を持たれる方は少なくないはずだろう。

 

ロボットが職を奪うことは理論上あり得ないという説を提唱する方も居られるが、僕自身は残念ながら取って代わられる職業は一部存在し、転職を余儀なくされる者も現れるだろうと思う。

 

かつて印刷業では印刷物を作るに際して文字を木版に並べる職業があり、電話を行う際には電話交換手の助けなしに出来なかった時代があったように、技術の発展によって職が代替されるということはAIに限らず数多存在する事例である。

 

また、AIが万能だから職業が奪われるという懸念点もあるだろうと思うが、それを有効に活用するのは人間であり、機械が機械を遣うようなより高次的な段階に行かない限りニーズを超えた職の代替現象は発生しないように思える。尚、AIがAIを動かす技術に関しても、人間がそれを求めない限り使用されないため結局のところ人々のニーズありきの部分が強い。

 

要するに、人間がシンギュラリティを求めていない現段階では、AIが能動的に人間の指示を無視して逆転現象を起こすことはないと思われる。  
しかしながら、人間がAIの技術を利用することによって従来行っていた作業が簡略化され、お払い箱になる可能性はあることから、AIには出来ない人間的な所作を見つけ出しておくことは賢明かもしれない。  
これはAIだから問題なのではなく、技術の進歩がもたらした因果関係であるため、生命的な進化を止めるのが不可能なように自然の流れに任せるしかない要素である。

 

個人的に思うにはAIは装飾や翻訳、編纂、照会といった1を10にするような行為は得意だが、0を1にする行為は現段階では難しいように思える。  
インスピレーションも経験則から導き出される要素はあるものの、直感的な閃きである点には争いはないため、0と1で構成された機械にそのような所作は求められない。

 
したがってよりクリエイティブな活動によって自分らしさを出すか、AIにそういった新しい閃きを学習させる職業が今後求められるようになってくるのではないかと思う。

 

・学習元の著作権問題

  
Twitterなどではこちらの方が顕著に話し合われているように思われる。

ディープラーニングである以上、ある対象物を学習させるためには膨大な情報量が求められ、そういった情報は需要のあるものに偏向するのが自然の流れである。

 

その結果、既存のコンテンツのうち、人気の画家や映像作家、小説家、流行りのアーティストや最も支持されている学者から情報を取得することとなる。あるいは、自分の望ましい絵柄や作風に寄せるために、特定の画家や作家の出す表現物を集中的に学習させることも少なくはないだろう。

 

もちろん、こういった学習元には著作者の権利が存在し、その権利者の意に反して著作物がみだりに濫用されるのは法的にも信義則的にも許されないものである。

 

しかしながら、前者の場合はAIが自動で情報を収集することから誰がどのタイミングで学習教材にしたかという侵害者主体の不明確性が、後者の場合には個別の案件が多発し法的処理が追いつかずイタチごっこになっているという問題点が指摘される。

 

前者については侵害者が不明確であるため責任を問うことは難しい。一部の人々の間では「AIの開発を止めるべき」との主張が行われているが、僕自身こういった意見には賛同しかねる。

 

例えばフライパンを使った殺人事件が発生した場合に、そのフライパンを作った人は悪いかと聞かれるとどうだろうか。  
本来ならフライパンというものは料理をするための目的をもって作られるものだから、作った鍛治職人も料理で使われるようなことを想定するだろう。  


AI技師も同じく、技術的に進歩し、人々がより良い暮らしができるように開発を行なっている。  


そういった製作者の意に反し、予想もしなかった使い方をされたからといって開発を中止しろと言われれば不本意であろう。

 

主体者から抑制できない場合には、著作者から防御手段に出るほかない。学習を拒否することを明文化し、学習するために機械が自動的にコンテンツを引き抜かないように対策されたサービスを使うほかない。  
  
昨今では様々なWebサービスや制作物がAIの学習が行えないような特殊な処置を行えるように改良に注力している。著作者は積極的にこれらを持って防御手段を具備することが今後重要になってくるであろう。

 

一方後者の方はどうであろうか。後者は権利侵害者が明確で侵害の程度も判別がつく、しかしながら訴訟費用の問題や件数の多さなどから泣き寝入りしているという事例である。

 

これに関しては立法的な不作為であると捉えることが相当であろう。現行法ではAIによる著作権侵害に特化した明文規定は存在せず、従来の著作権法を準用する形で対処している。

 

また、権利侵害に対しての請求の手続きが煩瑣な点に関しても、インターネット上で大量に侵害されるといった事例を基にしていないため迅速な法整備を行うことが求められるであろう。

  

  

21世紀に入ってから急速に成長したネットワークに伴い目まぐるしく成長を遂げる人工知能の技術、20年代に入りようやく我々の生活にも反映され大いに利便性を提供してくれる反面、権利問題や失業といった課題も議論に上がってきた。  


技術を享受することによって得られる代償に対していかに能動的に知覚し、それに応じて接していくかがいつの時代でも我々に求められることであることを改めて認識する契機としてChatGPTは良い命題を持ち込んでくれたものだと僕は思う。  


今後の進歩、および法整備に注目したい。

当ブログの投稿内容において、具体的な根拠や出典を明示していない限り、根拠や出典の存在を一切保証しません。また、根拠や出典が明示されているか否かにかかわらず、根拠や出典の妥当性・真実性を保証しません。

尚、実際の人物や団体に影響が出ないようにある程度抽象化したり脚色したりすることもあります。ここに出てくる登場人物や出来事は全て夢の中で起こっているようなものという感覚で読んでいただけると幸いです。