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ゆめかわ日記

快適なSNSにしたいなら「ユートピア」ではなく「日常」を追求するべきという話

皆さんはインターネットに何を求めますか。

 

エロ画像、エロ動画?

...エロ詩吟?

 

インターネット上には言うまでもなく無数のコンテンツが転がっています。

 

例えば魅力的な絵を描く絵描きさんのイラストやゲームの実況プレイ、読むと知見が得られるような雑学、テック記事、ニュース等、まあ大まかにジャンル分けは出来ても死ぬまでにすべてを観るのは無理だと思います。

 

インターネット上に存在する情報の中でもSNSはおおよそ数百億のインターネットユーザーが特定の場所に投稿をしているわけですから、上に挙げた内容の情報をほぼ網羅的に摂取することが出来ますね。個人的にはSNSの情報の密度は国立情報学研究所のデータベースをしのぐものだと思っています。

 

僕は普段ブログとMisskey上でSNS活動を行っているのですが、近ごろこんな感じの投稿を目にする事が多くなりました。

 

「陰謀論者やアンチのいる糞みたいなTwitterと比べたら、ここは僕のユートピアで望ましいものがすべて手に入る!」

 

「イーロンマスクの暴政から解き放たれた自由なSNSだ!」

 

なかなかに鋭い刃を振り回すような投稿ですね。

彼らは暫くの間Twitterと距離を置くことを選んだようですね。気分転換は大事ですからこれぐらい割り切る方個人的には興味深くて好きです。

 

しかし、その反面こういった意見もたまに見かけます。

 

「Misskeyはオタクコンテンツばっかりで私には少し厳しいかもしれない。」

 

「エロコンテンツが多すぎて見るに堪えられない」

 

Twitterとはまた違った意見であるように伺えます。Misskeyは比較的何か専門的な分野を追及している方が多く集まっており、特定のジャンルを好む人がその話題をされることが多かったりします。

 

そのため、特定の話題に関して関心が無かったり付いていけなかったりした際に疎外感を覚えられるといった印象を抱きます。

 

MisskeyやMastodonのサーバーは主に何らかのコンセプトが決められていたり、黙示的に特定のコンテンツが好まれる傾向になったりすることが多いです。

イラスト、ボーカロイド、ゲーム、IT等、自分の興味関心がある分野のサーバーに参加することによって、同様の関心を持っていたり趣味が共通するユーザーと談笑できると言う点に合わせ、サーバー間で投稿が連携されていることから望めば他の分野の話題も取り入れられるという画期的なシステムです。

 

しかし、考えてみるにITが好きな人は常に言語やテック系の話題についてしか話さない。ゲームが好きな人はゲーム以外の話題を完全に忌避する、といった事はあり得るでしょうか。

 

単刀直入に言ってあり得ません。

まず、特定の分野しか話せないのはチューリングテストで使う機械のようなものだと考えていいと思います。

 

誰でも何かしら自分が一番興味関心を持っている分野以外に考えることはあるし、微々たるものではあれど何かに興味を持ったり感心したりすることはあると思います。

 

そういったオフショットな一面を稀に共通の世界に住む仲間と談笑できる時間に幸せを覚える事ってありませんか。

個人的にはSNSの一番魅力的な部分ってそこにあるんじゃないかなと思ってます。

 

Twitterは2006年からじわじわと利用者を増やしていき、世界的なユーザー数を構えるようになる過程で、どのようなジャンルの人間でも気軽に呟けて話題を共有できるようにするために様々なシステムの改良やユーザー体験を向上させるための研究、利用者の声にフィードバックを行うといった努力をしてきました。

 

そのため、検索機能等に利便性を持たせ、様々なイデオロギーや趣味を持ったユーザーが気軽に繋がれる環境を構築しつつも、共通の趣味や分野で集まる人々が快適に棲み分けできるような仕組みを実装してきたのだと思います。

 

このような環境が変わろうとしている中、個人的には現CEOのイーロンマスクさんはこういった面をもう少し慎重に検討されると宜しいのかなと僭越ながら考えております。

 

マスクさんの投稿やインタビュー記事を見るに僕が抱いた所感は「彼はユートピアを作ろうとしているんだ」というものです。好ましくないと判断した機能を消去したり、これは見るべきと判断した投稿は優先的に表示されるようにアルゴリズムを再構築している点を考えると、元来よりTwitterで議論になっていた箇所を極限まで削り、誰もが美しいと思えるような理想郷を作ろうとしている姿勢も伺えます。

 

一方Misskeyもユーザー側が理想郷を作りたいと思っている気持ちが開発者や運営者が本来抱いていた目標の指針を曲げる勢いで圧をかけ始めているように思います。Twitterのように暗い話ばかりになってほしくない、なるべく今の楽しい時間を長続きさせたいというユーザーの願望が、黙示的に美しい、楽しいと思えるような理想郷を作り維持しなくてはならないという事を強いているのではないかと直感的に抱いています。

 

前者は運営者が、後者がユーザーがユートピアを追求しようとするあまり、何か偏ったバイアスやイデオロギーが肥大化していくのではないかという雰囲気は感じられるのではないかと思います。

 

...というようなことを考えていて、本来ならここでまとめに入っていたのですが、偶然フォロワーの方がDiscordやMisskeyで過去のTwitterの投稿を引用されているのを偶然見かけて、ポチポチ押してみてみました。

 

引用されるツイートは喜怒哀楽や知見を刺激するような内容なんですけど、たまたま暇だったのでその投稿者のアカウントをポチっと押してすらすらと他の投稿を読み始めました。

 

そこには投稿者が日常的に何らかの呟きや写真、何かに対する意見や感想など、人間の他愛無い日常が徒然なるままに記されていました。

それを見てるとなんか嬉しいとも悲しいとも言えない何とも言えない「いい感じ」な気分になれました。

 

例えるなら浜辺に落ちてたメッセージボトルを開けたら、100年前に誰かが書いた手紙が入っていたのを発見したり、落とし物とみられる誰かの日記をこっそり見たときのあの感覚です。

自分の知らない人間の日常生活が何故あんなに面白いのか不思議ですね。

 

...!まさにこの感覚!SNSみたいなのでしか得られない栄養ってまさにこれの事じゃね!?

 

って思ったんですよね。唐突に。だから寝ないでこういうの書いてるんです。

 

もちろん、誰もがハッピーになれるユートピアをSNSに作ろうっていう感覚はいいと思います。

 

しかしながら考え方や価値が全く違う人間がいる状態で、ユートピアなんて絶対に作れません。誰かが100%満たされれば他の誰かから-1%ずつえぐり取られていくんだと思っていたほうがいいと思います。

 

特定のジャンルで集まれる環境が作りやすいというMisskeyやMastodonの世界、もっと有効に活用する方法は1つ。

 

「全てのユーザーが70%で満足して残り30%は他のユーザーに譲歩しよう。」

 

これに尽きます。はい。世界平和。

 

これを意識してSNSをやってるとユーザーの皆が打ち解けられていい感じの雰囲気になり、普段だったら話さないような別分野の面白い話や新たな視点での会話、日常的な他愛無い世間話が出来る環境になるんじゃないかと思います。

 

今まで色々な掲示板やSNSで遊んできて遠い目で見るに、そんな感じなのかなぁって思いました。

 

みたいなことを考えてると朝になりました。

 

睡眠時間を返せ! では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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尚、実際の人物や団体に影響が出ないようにある程度抽象化したり脚色したりすることもあります。ここに出てくる登場人物や出来事は全て夢の中で起こっているようなものという感覚で読んでいただけると幸いです。